大学受験に向けて勉強をしている中で、勉強には才能が必要なのではないか、自分にはその才能がないのではないかと考えてしまう人もいると思います。
確かに、勉強の出来不出来には才能が関係していると思います。
本記事では、受験勉強に必要な才能と、自分には才能がないと思う人がどうすれば良いのかについて、勉強の質と量のそれぞれの観点から解説していきます。
才能は関係ある!
勉強の質に関する才能
勉強の成果は量と勉強効率(質)によって決まります。
このうち、質については才能が関係しているでしょう。
論理的思考や情報処理などの脳機能の一部は才能によると言われています。
しかし、脳機能における才能は工夫によっていくらでも挽回することができます。
・脳のワーキングメモリーが少ないならそのことを認め、問題文を読む際には適宜メモを取ったり図を描いたりして情報を処理する。
・集中力がなくて困っているなら、自分には集中力がないということをまず認め、集中せざるを得ないような環境に移動して勉強する。
・1つの問題を学んでも別の問題に応用できないと感じるなら、予備校で応用の利く考え方(才能がある人の考え方)を学ぶ
このように、自分に才能がないと思うなら自分の才能に合わせた行動をとるだけです。
ちなみに上の3つは全部私がやったことになります。
勉強の量に関する才能
勉強の質についての才能はある程度情報によってカバーできることが分かりました。
では、勉強の量に関する才能、いわば「努力する才能」などといわれているものは本当に存在するのでしょうか。
私なりの結論としては、存在すると思います。ただし、「努力する才能」とは「物事を達成したいという欲求の強さ」そのものだと解釈しています。
大学受験において努力ができない人は以下の2パターンに分類されます。
・そもそも合格したい願望が薄い
・合格したい願望は強いが、正常な判断ができない
このうち、一つ目は努力の才能なし、二つ目は努力の才能ありといえるでしょう。
これら2つのタイプについて解説していきます。
合格したい願望が薄い人
こちらのタイプの人は努力の才能がないタイプです。
ただし、「才能がない」といっても必ずしもネガティブな意味ではありません。
努力しなくても幸せになれる人だということです。
この世の中は全員が幸福に向かって進んでいるだけなのですから、合格したい気持ちが弱いタイプの人はそもそも何もしなくてよいと考えられます。
極端なことを言うと、このままでは死んでしまうという状況で努力を惜しむ人は存在しないわけです。必死になって生きようとするでしょう。
人は強い願望に向けた努力を惜しむようにはできていないことが分かります。
したがって、努力の才能とは、何かを達成したいという強い願望を持っているのかという性格的なものでしかないのではないかと考えられます。
人間のあらゆる行動は欲求に基づき、どの欲求が強いのかによって行動が決まります。
・スティーブジョブスや大谷翔平は成功したい欲求が周りより強かった
・ボランティアに参加する人は人のためになることが自分の幸せになる(「他人の幸せ=自分の幸せ」が成立する人がいわゆる“善い人”である)
このように、人のあらゆる行動は、欲求に基づいて行動した結果そうなったというだけなのです。
これを受験勉強に適用すると、どうしても東大に行きたいと思う人は努力し続けるけれど、こだわりがない人はやめていくというだけのことです。
そして、東大に行きたくない人が東大に努力を続ける必要はどこにもないですよね。
現在の快楽に対する欲望と成功したいという欲望を天秤にかけ、どちらが優先されたのかという単なる結果です。
つまり、
・何かを達成したい欲求が他の欲求より強い人⇒努力の才能あり
・何かを達成したい欲求が他の欲求より弱い人⇒努力の才能なし
このように考えられます。
したがって、「合格願望が薄い」というこちらのタイプの人は努力の才能がない(努力しなくても幸せになれるので努力の必要はない)ということです。
合格したい気持ちは強いが、正常な判断ができない人
こちらのタイプの人は、合格したいという強い意志がある時点で努力の才能はあると考えてください。
上で説明した「すべての行動は欲求に基づくのだから自分から何かを変えていく必要はない」という議論には抜けがあります。
「正常な判断の欠損」という視点が欠けているのです。
この視点を持たないと、例えば子供のしつけはいらないということになります。
子どもが自分の欲求にしたがってゲームをした結果どうなっても自業自得、とはできないでしょう。
これと同じで、「努力の才能あり」に該当する人にも、正常な判断ができない状況というものがあるはずです。
これは才能の問題ではありません。ハマっているゲームを参考書の横において勉強できる人はいないんです。
そのような方は、環境を変えることを考えてみてください。
例えば、大学に合格したい気持ちはとても強いのにゲームが目に入るとやってしまうというなら、ゲームを捨てるかゲームのない場所に移動して勉強すれば良いでしょう。
本当に合格したい人は、ゲームを目の前にすると判断が狂うというだけで、正常な状態ではゲームのない環境に変えるという選択をとることはできるはずです。
才能があるかはやってみないとわからない
世の中のあらゆるジャンルにおいて才能は少なからず影響しています。
しかし、その才能が自分にあるのかというのは、チャレンジしてみて初めて分かることでしょう。
しかも、そのチャレンジも長く継続してみなければ分からないというのが世の中の厳しいところです。
大谷翔平は自分に才能があると最初から分かっていて野球を始めたわけではないででしょうし、スティーブジョブズも才能があるのか分からないまま起業したはずです。
そして彼らは何年も努力を続け、初めて自分には才能があったのだと気付いた時には成功をつかみ取っていたのです。
これと同じで、少なくとも1年間ぐらい本気で勉強を継続した経験がない人には、自分に勉強の才能があるのかさえ分かりません。
仮に才能があったのに、勉強しなかったからそれを発揮できなかったとなれば悔しいですよね。
そうならないように、合格したい気持ちがあるなら今からでも遅くないので勉強を始めて一定期間継続してみてください。
どれだけやっても全く成果が出なければ、そのときは諦めて勉強以外の道を見つけるとよいでしょう。
基礎的な勉強をしっかりやれば偏差値は上がる
ガリ勉で偏差値60の人は大勢いるかもしれませんが、偏差値40のガリ勉を私は見たことがありません。
これはひとえに、ある程度の偏差値は量によって保証されるということを意味しています。
勉強量を増やすための才能は、合格したいという気持ちだけだと先ほど説明しました。
したがって、その気持ちがあるという方は、まず基礎的な勉強にできる限りの時間を費やしてみてください。
もしガリ勉になることに成功すれば、才能がなくたってある程度は成績が伸びると思います。
私も受験生時代はガリ勉を目指して勉強に励んでいました。
受験における基礎の固め方については以下の記事を参考にどうぞ。
まとめ
受験における才能とは、
・質の才能=脳機能
・量の才能=努力の才能=合格したいという気持ち
の二つに分けられます。
このうち、量の才能がない人は勉強しなくて構いませんので、量の才能がある人(絶対に合格するという気持ちを持った人)に向けて以下の4つのアドバイスをしました。
・質の才能がないと分かったら、才能のなさを認めた上で挽回するための工夫を施すべし
・正常な判断ができなくなる環境には身を置かない
・(質の)才能が自分にあるかはやってみないと分からない
・基礎的な勉強を大量にこなせば才能にかかわらず偏差値はある程度あがる
ぜひ、合格したいという熱い思い(才能)を持った人は、努力を重ねて量を積むことで自ら合格を勝ち取ってください。
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